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「清めの塩」とは

2015年6月3日 12:03

葬儀に参列しますと、会葬礼状や返礼品と共に清め塩が付いています。
宗教宗派によって使用するしないは分かれますが、基本的には付けるケースが多いです。
「お清め塩」と呼ばれるように「清める」という意味が強いです。

それは神道において「死を穢れ」という考えからきております。
自身にかけることで、穢れを落とす又は不幸を避けるという意味があるのです。

仏教でも「お清め塩」を使用しますが、仏教観では死を穢れとはとらえない考え方もありますので、付けない宗派もあります。
その際は、「お清め塩を使用しない理由」という冊子を入れたりします。

「今まで家族で過ごした方が、亡くなられたら穢れた方になるのですか?」という内容の冊子です。その通りだなと私も思います。

ただ、会葬者から考えればそうではないのかもしれません。
塩はいらないことを理解されている方ばかりではありませんので、ホールなどの入口に「ご自由にお持ち帰りください」とおいております。
(たまにご寺院より注意されますが・・。)

*** ご参考 ***
礼状と共に塩を入れない時に入れる冊子の一文。

~私たちは「清め塩」を使いません~

清め塩は迷信です。

魔を祓うために棺の上に刃物をのせたり、火葬場で遺骨の箸渡しをするなど、葬儀では、仏教とは無縁の迷信的な風習が伝えられています。

「清め塩」も、そのひとつです。

清め塩は葬儀の際、玄関先に置かれたり、会葬者に礼状とともに渡され、清めることをごく当たり前のように思っている人が多いようです。

「死」は穢れたものではありません。

しかし、この塩で、いったい何を清めるとするのでしょうか。

日本には古くから「死を穢れ」とする考えがありました。

その理由は様々伝えられていますが、いずれにしても「死(者)」に触れ関わることは、わが身も穢れ、そして生者に死をもたらすと考えられたのでした。

今日でも「四」の数字が「死」を連想させることから忌み嫌われ、病院やホテルに四号室が見られないのもそのためです。

けれども、生前に父よ母よ、兄弟よ、友よと呼び親しんできた方を、亡くなった途端に穢れたものとして「お清め」していくことは、何とも無残であり、悲しく痛ましい行為ではないでしょうか。

死もまた吾等なり

仏教では決して死を穢れとは受け止めません。

生と死を分けるのではなく「死もまた吾等なり」と受け止め、生死するいのち

精いっぱいに生きていくことこそ、人間としての生き方であると教えています。

清めの行為は亡き人を貶めていくばかりでなく、自身の生き方をも曖昧にさせる迷信であり、一切不必要なのです。

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